紹鷗は堺の商人で、千利休の師としても知られる。二十五回忌に当たる天正7(1579)年、娘婿で弟子の今井宗久が堺の寺に供養塔を建立。江戸時代初期、織田信長の弟で茶人でもあった有楽斎が、隠せいしていた正伝永源院の前身・正伝院の境内に移した記録が残る。
しかし明治初期の神仏分離の影響で正伝院の土地が没収され、塔も大正5(1916)年に藤田家が入手。藤田家の邸宅跡地の「太閤園」(大阪市都島区)に置かれていた。2021年春、運営していた藤田観光が太閤園を売却したのを機に、約100年ぶりにこの地、正伝永源院に戻すことになった。奇しくも、有楽斎没後400年の節目にあたり、有楽斎の強い願いが呼び寄せたと思わせる。
塔は竜山石製の五重塔で高さ約6m。初層の四方には仏像が浮き彫りにされている。2021年10月上旬に庭園に運ばれ、本堂に安置される有楽斎の木像からよく見えるように意識して設置された。
正伝永源院に伝わる有楽斎の墓石はこの塔を模したとされ、やや小ぶりながら形は似ている。
