
本歌の「如庵」は明治時代の廃仏毀釈を受け、「正伝院」から有楽斎誕生の地名古屋の犬山に移し建てられ現在に至っていますが、数寄屋建築の第一人者中村昌生氏の監修のもと、千家十職・当院責任役員永楽即全、善五郎氏他多くの法縁の援助により、平成八年十月本歌と瓜二つの名席が完成しました。
如庵の額は、細川護貞氏の揮毫によるものです。
有楽斎は信長の弟として戦乱の世を類まれな処世術で生き抜き信長亡き後、政冶利用されながらも織田家の血統を絶やさぬよう必死に奔走しました。その後、有楽斎は剃髪し俗世と離れ隠棲の場として正伝院を安楽の地とし茶道三昧の日々を過ごすため正伝院内に名席如庵を創り出しました。茶祖栄西禅師の建仁寺に身をよせ一心に茶に没頭した有楽斎はこの空間に何を求め何と向きあい何を目指したのか想像を働かせてください。

