有楽斎は織田信秀の十一男で、信長(二男)の実弟として天文十六年(一五四七)尾張に生まれ、通称源五郎、名を長益といい、剃髪して有楽斎如庵と号しました。
本能寺の変で兄信長が倒れた後、彼は豊臣秀吉の配下となります。また、関ヶ原の没後、その功により家康から禄を与えられ、豊臣秀頼の補佐役として大阪城にいて東西対立の和平に奔走しますが不調に終わり、夏の陣を前にして大阪を退き京都二条に隠棲いたします。
その後元和三年十二月には正伝院の借用を打診し、翌年秋には優美な林泉と典雅な茶亭「如庵」ならびに客殿、庫裏を完成したようです。そうして元和七年十二月十三日波乱に富んだ七十五年の生涯を閉じるまで、茶道三昧、悠々自適の生活をこの寺で送るのです。
茶道“有楽流”
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